タイロテッカーは景気を気にしている。半導体業界において景気を考えると、シリコンサイクルというキーワードは自然と浮かび上がってくる。常に最新技術を誇り、次世代商品を世に送り出してきた業界ならではの、経験則的な景気の周期のことであるという。景気には波があり、オリンピックの年になると、その波が好調に転ずるというのだ。
シリコンサイクルとは
『過去には「シリコンサイクル」と呼ばれるサイクルが、半導体業界の景気の好不況の循環を主導してきた。パーソナルコンピュータの需要拡大等でメモリ製品が不足すると、価格は上昇する。メモリ半導体メーカーは、上昇した価格と旺盛なメモリ製品への需要に基づいて、将来への投資といった経営判断を下し、生産設備への拡大投資を決定する。このとき、1社が生産設備の拡大を行うだけでなく、ほとんど全てのメモリメーカーが生産設備を拡大するので、生産ラインが完成して量産に移行する頃には需要拡大は既に終わっており、各社の生み出す大量のメモリ製品がほとんど同時期に市場にあふれて価格は暴落する。こういったサイクルを過去に数回繰り返してきたため、日本の総合家電メーカーのように多くの企業は、度々訪れる莫大な赤字に耐え切れず半導体ビジネスから撤退していった。このような経緯から、1990年代中期以降、生き残ったDRAMメーカー各社は、過去の失敗を参考に、将来の需要予測に対して細心の注意を払いながら設備投資を行い、かつ価格操作や供給コントロールを行うことで、シリコンサイクルが起こらないように努めてきた。』(ウィキペディアより抜粋)
これを理解しようと筆者が頭に浮かべたイメージは、茅ヶ崎海岸で、来るはずもないビックウェイブを待ち詫びる己の姿であった。見た目の良いサーフボードを購入し、ウェットスーツで身を固めたものの、トーシロだから波がきても乗れない。普段からの準備と研究、そして適切な投資が無ければ、波にも乗れないし、女にもモテない。「ぽっつーん」である。
バブル世代のせいであろうか、そもそもの目的さえ明確でなくなっている。勉強しないから(需要と供給のバランスの)波に乗れない。見通しが甘いから茅ヶ崎で大波を待つ。なにより自分に甘いから努力をしない。もしも渦中の経営者ならば、不景気の渦巻きから這い出せずに、ぐずぐずとオリンピックイヤーを待ちわびていることであろう。
バブルは遠い日の花火だと思っている
「恋は、遠い日の花火ではない。」サントリーが放った大ヒットCMである。出演した田中裕子がきれいだった。長塚京三に憧れた。月日の経つのは早いもので、当時、田中裕子との花火を夢見ていた筆者は当時の長塚京三の年を超えてしまった。このCMが流行った年は1995年。日本が失われた20年に突入して、いわゆる団塊の世代が元気をなくしていた。経済を回しているのが誰かを知る由もないが、今の日本を回しているのは、生まれてから一度も好景気を経験することがなかった世代である。もし仮にバブルがまた来たとして、彼らはクリスマスイブに高級イタリアンの店を何カ月も前から予約し、翌朝、プリンスホテルの会計の列に並ぶのだろうか。きっとそうはしないだろう。厳しい時代を生き抜いてきた彼らは賢明であり懸命なのだ。進化論にあるように、人類も世代を重ねるごとに、確実に進歩しているのであろうと確信する。そして技術者、研究者はムーアの法則をも実現してきた。バブルが訪れれば、危機感の方向性を間違えて「アッシー君」や「みつぐ君」の生活を一生懸命やったりする種は絶滅してしまう恐れがある。
業界の興廃
筆者の親父は海事産業に長く身を置いていた。海運も技術力ではなく外交に敗れて衰退し、石炭産業とともに閉塞感に覆われている斜陽産業のひとつである。
『大戦後1960年代にかけて我が国の海事産業は全盛期を迎えた。日の丸船体は世界の港を制覇し、我が国造船の建造量は全世界の半分を占めた。状況が大きく変わったのは1980年代に入ってからである。とくに1985年のプラザ合意による円高は外貨産業を直撃、海事社会の状況を一変させた。 最大の被害産業は海運と造船であった。その中でもとりわけ大きな影響を与えたのが日本人外航船員である。最大時6万人を超したその数は、時を置かずして3000人規模にまで激減した。』(「提言!変わらない海事社会を変えるために」より抜粋)
現在、親父も76歳。私の周りに船乗りになる勉強を真剣にしている若者はいない。国家が予算をつけて仕事を作っても、業界自体に魅力がなくなれば、働き手が消えるのである。
ひとつの産業が隆興し、衰退していくサイクルは50年であるという。半導体を使う製品は極端にライフサイクルが短く、また大量の余剰製品が出やすい。シリコンサイクルの浮き沈みが繰り返されて40年がたつという。もうシリコンサイクルは存在しないとも言われる。2000年11月に業界を襲ったITバブル崩壊。狂乱から一転、あの叩き落されたような衝撃と静けさを、若きタイロテッカーが体験することはないのであろうか。
半導体業界は大丈夫なのか
「そんなシンプルな話ではない」と業界の友人達は言う。半導体業界だからといって、景気といえばシリコンサイクルと考える人など、いないだろうとも言う。投資家とは景気の波に翻弄されず、むしろ、操ってやろうと命運をかけるものである。国家も介入し、市場は混乱するものである。日本の企業は、拡大するため、生き残るため、市場に対して日々、対策を取り続けている。万を超える社員が毎日努力を積み重ねているのだと厳しい顔になる。「シリコンサイクルよりも日々の為替のほうがよっぽど気になる」と締めくくられた。
業界自体は成長している。とはいえ、各社大規模なリストラを行ったり、日本の屋台骨といえるような大きなセットメーカーが、外国企業に売却されたりする昨今である。働き盛りの自分が「あの頃はよかったなー」などと言いながら水割りを飲んでいるだけでよいものであろうか。
4歳の子供は景気よりもケーキを気にしている
地に落ちた父親の権威を取り戻すために、バースデーケーキをパティシエに特注してみた。どんな環境に育ったにせよ、4歳の子供にとって誕生日ケーキのろうそくを吹き消す瞬間は、何より楽しみなはずだ。結果は大成功。家族全員が笑顔になり、積もり積もっていたオヤジの負の遺産は帳消しになった様にみえた。そのパティシエは、誕生日の子供とその家族の笑顔をイメージしながら、人気キャラクター「コマさん」のケーキを作ってくれた。心を込めた「職人の仕事」の威力にまじまじと感じ入った瞬間だった。
タイロテッカーは日々、電話の向こう側のお客様ひとり一人と向き合い、小さな部品のひとつ一つに目を配ることに多くの時間を費やしている。業界の先輩方からも言われるとおり、「景気の動向、国家レベルの大きな社会の流れ、身近なお得意様の小さな変化についても学び、肌で感じられるようにならなければ、未来は見通せず、生き残れない」のかもしれない。世界中から部品を探すことはできるが、景気に関しては無力である。柳ジョージの名曲「コインロッカーブルース」にもあるとおり「大河の魚」の気分である。「川の流れまでは変えられない」それでもやっぱり、お客様の景気と子供のケーキは気になるのである。
変化に素早く対応した種が生き残る
チャールズ・ダーウィンは「なぜ自分はここにいるのか」という問いを発し、すべては神様が創造したという周囲の説明には納得できずに、飛行機もない180年も前に世界中を旅して観察した結果、「種の起源」を発表した。
生き残る種とは、
最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである。
お客様から教わることでタイロテックは成長させて頂いていることを、改めて実感する。思えば創業時には、右も左もわからなかった下島に、道を示してくれたのはお客様だった。初心を忘れてはならないと思うと同時に、若いタイロテッカーたちが、同じような経験をしているのを見て感じ入るものがある。そして、やっぱり生き残りたい。モノづくりに人生をかけている人たちに部品を提供することが我々の仕事なのだから。
広報 小池公彦
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