それいけ!「日の丸半導体」

TQ Colmn / 2015年05月


SEMI

 

高度成長期、日本の産業の米は「鉄鋼」から「半導体」へと移り変わります。

バブル経済で華やいだ80年代、日本の半導体が世界を席巻します。アメリカやヨーロッパ勢を抑え世界のトップに君臨したのです。1989年には半導体のシェア53%を握り世界を驚かせた日本メーカ。人々は彼らを「日の丸半導体」と呼び、強い日本経済の象徴として誇らしく感じていたのです。

 

 

 

ベンチャー企業が新たな時代を開いた

日本半導体産業の夜明けは静かにはじまりました。1954年創業間もないソニーが米国企業とライセンス契約を結びトランジスタの生産を開始します。後に日本経済をけん引する半導体を最初に手掛けたのはベンチャー企業だったのです。さすが世界のSONY、最初からやる事がすごいですね。トランジスタの生産を皮切りに彼らは「世界初」を連発していきます。ベンチャーが新時代の扉を開いたのです。

 

トップ5を独占した日本企業

1987年製 日本電気 DRAM 1987年製 日本電気 DRAM

1970年代後半、主役はDRAMに移りかわります。米国が主導権を握っているDRAM市場に日本の総合電機メーカが続々と挑んでいきます。日本勢は微細な加工技術と徹底した品質管理で市場を奪っていきます。1980年代中頃にはDRAM市場トップ5を日本企業が独占。あまりの強さに米国との貿易摩擦にまで発展します。この頃日本企業の勢いを観て韓国でもDRAMの組立生産が開始されます。「日の丸半導体」が時代の寵児となったのです。

 

DRAM市場ランキング

順位 1986年 1995年 2008年
1位 日本電気 SAMSUNG (KR) SAMSUNG
2位 日立製作所 日本電気 HYNIX
3位 東芝 日立製作所 エルピーダ(JP)
4位 富士通 HYNIX (KR) MICRON TECH (US)
5位 三菱電機 東芝 QIMONDA (DE)

 

韓国企業の台頭で日本のドル箱が・・・


2006年製 SAMSUNG DRAM 2006年製 SAMSUNG DRAM

「日の丸半導体」が世界のトップに上り詰めた80年代、韓国政府はDRAMを国家戦略産業と位置付け育成に力を注ぎます。積極的な大型投資と独特な人材活用で急成長を遂げ、90年代には日本や欧米と肩を並べます。世にいう「漢江の軌跡」の総仕上げがはじまったのです。国をあげて「汎用品メモリ」に特化した戦略は、あっという間に世界を飲み込みます。米国の雄テキサス・インスツルメンツや欧州の巨人インフィニオンも一時撤退を余儀なくされます。「日の丸半導体」が先頭を走っていたDRAM市場。21世紀を迎えるころには韓国企業を中心とした市場に激変していたのです。そして2013年米国マイクロン・テクノロジー社によるエルピーダメモリの買収によってDRAM市場から日の丸は消えてしまいます。

 

サヨナラもいわないで・・・衰退の原因は何か?

時代の波に翻弄された「日の丸半導体」。なぜ彼らはサヨナラもいわずに静かに姿を消したのか? 鍵となる90年代に複数の要因が絡み合い日本企業を追い詰めていきました。


SO_LONG

当初DRAMは、サーバなどの大型のコンピュータが主な用途で機能性や信頼性が重要視されていました。90年代に入りパーソナルコンピュータの普及が進みます。DRAMの主な用途がサーバからパソコンに交代し市場に変化が起こります。「品質」よりも「価格」が優先されるようになります。このころ半導体製造装置メーカの技術革新により、容易に大量生産が可能になり一気に転換期が訪れました。これはDRAMが「機能部品」から「汎用品」へと変わったことを意味しました。日本メーカが作るDRAMはオーバースペックになり市場から受け入れられなくなります。環境の変化に対応するには莫大な設備投資が必要です。折しもバブル経済崩壊の直後。大不況の最中、積極的な投資ができる空気は日本社会には皆無でした。まして「日の丸半導体」は総合電機メーカ。半導体に特化した会社ではありませんから市場動向に合わせ社運を賭けるようなことはできなかったのです。国による交通整理(指導力)も機能しません。国内だけでDRAMを製造する会社は10社近くになります。多額の設備投資が勝敗を分ける世界で日本株式会社として「選択と集中」が行われなかったのです。

DRAMのコモディティ化が進み、過当競争の様相をますます強めていきます。ついに「日の丸半導体」はDRAM市場からスピンアウトせざる得なくなったのです。

 

新たな試練が襲う

「日の丸半導体」の盛衰期に半導体業界には別の変化も起きていました。米国メーカを中心に「ファブレス」(ブランド・設計)と「ファウンドリ」(製造専門)による分業化の波が起こったのです。洋服デザイナーと縫製工場オペレータでは求められるスキルや発想はまるで違いますよね。半導体でも分業化して効率を上げようと考えたのです。しかし日本メーカはこれを嫌い従来型の設計から生産まで行う統合モデルに固執したのです。「ファブレスメーカ」は重荷であった膨大な設備投資から解放され、開発や設計に集中的に投資します。「ファウンドリ」は各メーカから製造を一手に引き受け、稼働率をぐんぐんと上げていきます。

 

「日の丸半導体」ぼくらは信じている


semicon

「夏草や 兵どもが 夢の跡」さみしい気持ちになってきましたね。僕らのヒーローはどこへ行ってしまったのでしょう。ここまでDRAM市場を中心に観てきました。悲観的な状況が続くのか、復活の道はあるのでしょうか?

半導体市場は新興国の消費増や人口増などにより拡大が見込まれています。また新たな用途への活用も予測されています。たとえば自動運転技術は、自動車業界での半導体の価値観を飛躍的に高め、無人ヘリ「ドローン」の普及が進めば多業種で新たな半導体需要が生まれます。ニーズに合わせ多種多様な半導体が造られ、多くの新カテゴリで活躍するのです。専門性の高い半導体を必要とする時代がくれば「技術力」「生産力」「おもてなし」の三拍子揃った「日の丸半導体」の出番です。「産業立国」「総合電機メーカ」も有利に働きます。日本には世界的なリーディングカンパニーが数多く存在します。トヨタのような企業と連携し世界標準を目指す事は非常に有利に働きます。自社の医療機器が半導体の新たな市場を生みだしていく可能性もあります。そのうえ日本には他の追随を許さないシリコンウェーハ製造技術や世界トップクラスの半導体製造装置メーカも存在します。誰もまねできないすばらしい素地、環境をすでに日本はもっているのです。

 

変わらぬことの強さ

日本の半導体は、2010年以降も売上ベースで世界の15%以上のシェアを維持し、トップ20に6社がランクインしています。53%の時代から大きく減りましたが間違いなく世界のトップランナーの一人です。技術力を背景に付加価値の高い半導体を造り続けていたのです。不器用だけど技術を愛する職人集団。このDNA、遺伝子だけは替えようがない。

いろんな時代があり、浮き沈みは誰にでもある。 みんな、静かにして、耳を澄まして。

何か聴こえてきましたね・・・

「ファゥンドリ?なんだそりゃ、舶来もんの鳥かい、喰えるのかよ?」

「オーバースペック!?造り込みの話かい。常に全力!!俺のすべてを注ぎ込んでやるぜ。」

「価格の問題じゃねーよ、気持ちの問題だよ。気合いに今も昔もあるもんか!!」

 

懐かし怒鳴り声ですね。その調子、その調子。  それいけ!「日の丸半導体」。

 

下島元





TQ Colmnの記事一覧