取引先インタビュー

金剛山が育んだ研磨を世界へ

ベルスター研磨材工業(株)
営業部長 清原 三幸さん
ベルスター研磨材工業(株) について

ベルスター研磨材工業株式会社は、研磨の里、奈良県香芝市にて1968年に創業した研磨布紙メーカーです。研磨シートやロールをはじめ、幅広い研磨布紙材料を独自ブランド「ベルスター」製品として産業界のみならず、一般消費者へも届けています。太古から培われてきた研磨布技術をベースに今なお進化し続けるベルスター。研磨布紙業界のリーディングカンパニーとして技術だけでなく、コーポレート・ガバナンスをベースにした経営強化を推し進めています。

親子三代「ベルスター」の番頭

親子三代「ベルスター」の番頭 奈良県の中西部、金剛山のふもとに太古から受け継がれた「技」を継承する地域がある。香芝市、この地で生まれ現代でも進化する研磨材料。職人たちは、古墳時代から金剛砂を使い玉石を磨いていた。明治の産業革命以降、日本の製造業を支えてきた数々の研磨。これからの研磨布紙業界のロードマップをベルスター研磨材工業(株)を親子三代に渡って支えてきた清原氏に聞いた。

研磨とは、価値を高めること

研磨とは、対象物の表面を削ることによって、“バリ取り” “キズ取り” “サビ取り” “整える”ことを指します。単に削るといっても、硬さ、深さ、形状、精度 など使用条件によってさまざまな研磨材が用いられる。「砥石」「ヤスリ」「研磨布」「研磨紙」など多くの製品が存在する。

「削ることにより、物の価値を高める、質を向上させる行為を研磨だと僕は思っているよ。」

対象物よりも硬度が高い物質で削る。求められる精度によって番手(粒度)や道具(材料)を工夫することが研磨の基本。前工程である切削の仕上げとして研磨する場合もあれば、塗布やコーティングなど後工程のために行う研磨もある。多岐に渡る業種や業界で研磨は必要とされている。


研磨の現在・過去・未来

研磨の現在・過去・未来 研磨布紙は、時代背景や製造技術により、必要とされる製品が変化していきます。二代目の時代(高度成長期)に一番売れた番手は、40番でした。今でいう“粗目”です。今は80-120番の“中目”がよく出ます。耐水ペーパーは、240番以降を中心に、より細かい番手が市場のメインになっています。産業構造や技術革新によって出荷する番手は少しずつ変化していく。最近では、切削加工技術の向上により、研磨の役目も変わってきたという。前工程の質の向上は“バリ取り” などの仕上げ工程に大きな変化をもたらしている。
このままでは市場がシュリンクしてしまうのでは?という質問に清原は、白い歯を見せながら応えてくれた。 「研磨布紙が必要とされない世界なんてありませんよ」国内のマーケットを観れば、研磨布紙の種類にかかわらず、全ての品目で細目へ移行している。今の日本では精密な仕上げが求められる。この流れは、変わらないという。また時代背景や産業構造を観た場合、40年前の産業は、新興国が昔の日本の役割を担ってくれている。「視野を広げれば、今でも粗目は現役バリバリですよ。水平線の向こうにユーザは必ずいます。」


清原の大きな声と前向きな姿勢に、引き込まれるように下島もテーブルについていた。予定外の参加である。日本を最先端市場と捉え、細目を中心に新技術である「ラッピング・フィルム」や「ゴム砥石」を積極的に投入していく。と同時に産業界に軸足を置きながらもホームセンターやネット通販を通じコンシューマ・マーケットへの進出も拡大させる。海外マーケットは、新興国を中心に粗目タイプの製品を投入していくという戦略である。清原は、現代の市場と過去の市場を同時に刈り取ろうとしている。まさに大和朝廷を支えた力強い農耕の民のようである。

四代目襲名  息子の決意

「お客様の声に合わせ、多くの研磨布紙材料を提案してきました。ユーザの声こそ会社の宝と思い、どこへでも出かけるよ。これからもドンドンいくつもり。この脚こそ最強のマーケティング・ツールだよ。」最近では、日本を飛び出す事も珍しくない。北半球、南半球、アジア、西洋など清原にとって距離と時間は関係がないように見える。
ふっと感じた。太古から受け継がれた研磨布紙の伝承者にとって数時間、一日、一週間程度の時の流れは一瞬なのかもしれない。

「そういえば、小5の息子がさ、将来ベルスターに就職するって、父の日に宣言したんだよ。」

金剛山が育んだ研磨布紙の伝承は確実に続いていく。


取材 : 北米シリコンウェーハ 濱本 亮介

初めてのインタビューが始まるまで本当に緊張しました。いろいろ準備してきたつもりでしたが、始まったら清原さんの情熱に圧倒されて・・・ほとんど質問が出来ませんでした。勉強になりました!! 今日はありがとうございました。





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